7/5 父母と行くオクシズ・玉川路の長光寺のヤマアジサイ

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オクシズの長光寺のヤマアジサイがよいというfacebook情報。土曜日に、買い物のついでにどうかなと思いましたが①母の心臓の脈がおかしい。②雨がひどいなどの理由で見送りました。
日曜日朝起きてランニングをしていると青空も少し見えます。朝食を食べて父母を誘いました。

母は、最近、雨が多くて父の散歩ができずに困っていました。父は若いころ静岡市の自宅を出て、梅が島から安倍峠、そして身延へ自力徒歩で下ったほどの健脚。91歳になっても散歩意欲が衰えません。しかし、母は不整脈からペースメーカを入れている立場。散歩に付き合いきれなくこまっているというわけです。散歩をさせないと、父が勝手に出て行ってしまう。そうすると悪くすると帰ってこれなくなる可能性がある。どうも方向感覚はおかしくなっているようです。スーパーでも車に帰ってこれないことがときどきあります。

なので、喜んでつれていってくれということに。午前9時すぎ出発です。

オクシズ、玉川地区まで家から30km。ちょうど島田市へゆくのと同じくらいの距離。北街道から流通通りにでて、梅ヶ島行きのバイパスに乗ります。新東名新静岡インターチェンジ前でバイパスをおりて、ひたすら北へ。

猫住職のいる長光寺
猫住職のいる長光寺 実はこの長光寺、私にとって縁がある。

実は静岡東高校に入学した1年次に北沢忠という。伴宙太似の巨漢と同級となりました。この男、玉川地区という山奥から来ているらしいとのことで、下宿生活なんだとか。
彼は柔道部に入り大活躍。また、クラスの体育の時にラグビーをやるとだれもかれの突進をとめられません。3人で止めに行って弾き飛ばされるのをみたことがあります。

その彼、拓殖大学の推薦が来ましたが断ります。そして受験で拓殖大学に入ります。
2011年ころ、FBを始めたら同窓生のマイウ・前田という男が「あいつ、死んだぜ。なんでもバイパスやって10年目だったそうだ」とのこと。その翌年くらいに、一度、このお寺に来たことがあるのです。
そのとき、地区の青年部が何か作業をしていた。そこで。「北沢忠の墓は?」と聞くと。この長光寺だったのです。
なんでももっと上流の横沢地区という場所にあったらしいが、皆が詣でるのが大変で墓を移したのだとか。手を合わせてきました

ヤマアジサイ咲く
ヤマアジサイ咲く 彼の墓をもう出たときは、夏で、ヒマワリの昨時期でした。それから数年。

葉桐さんという茶商と出会います。この方、高校の4年先輩。1万円/100gの東頭(とうべっとう)というお茶を売っている方。わたしはコンサルタントとして。葉桐さんの商売の販促を手伝うことに。
そして2014年だったか東頭の茶園の取材をしてほしいと要望を受けます。
私は自動車の運転を始めたばかり。ナビに静岡市葵区の横沢地区をいれてむかいますが、当然ながら、横沢地区は広く。東頭の茶園の登り口にたどり着けそうもありません。そこで、早朝歩いていた老婆に「東頭の農園の場所はどこですか」ときくと、「いま、摘採の衆(働きさん)が北沢家に集まっている。あの家だよ」。そう。それが北沢君の実家だったのです。

可憐なヤマアジサイ
可憐なヤマアジサイ 東頭の取材の休憩時間に、北沢忠の話をしたらお母さまがいらっしゃいました。まわりの衆は「あのときも、茶園で茶摘みをしていたんだ、そうしたら忠が倒れて。看護師だった娘も勤務でいなくて、救急車が来たときは遅かった」。私は深い感慨をおぼえました。

15歳で偶然知り合ったもの通し。それが40年以上の時を経て、お茶というものでつながっていたのかと。

花粉をあびて
花粉をあびて カナブンでしょうか。必死になってヤマアジサイの花粉を集めています。

父母の記念撮影
父母の記念撮影 母曰く今日は調子がいい。父も散歩ができ亭満足でした。 後ろに見えるつり橋。ここを自動車が渡るのを初めて見ました。(汗


11時ころになったら雨が降ってきました。ちょうどよかったねといいながら車に乗り込み家に帰りました